| 身代わり不動明王
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| 万松寺に安置される不動明王は御立体の石像。名古屋城築城で万松寺が移転するとき加藤清正がいつも礼拝していたこの不動明王も同時に移したもの。「大日如来の教令を奉じ、忿怒の形を示現し一切の悪魔を降伏する真言明王の御威勢を示し給ふ妙相を表示し奉れり.......されば霊験殊に著しく、四衆信仰の衰萎したることなし」と伝えられる。これより先、元亀元年(一五七○)五月、織田信長が越前朝倉を攻略した帰路、琵琶湖の北、千草越えの時、杉谷善住坊という鉄砲の名手にねらいうちされた。日ごろ信心深かった不動明王の加護によるものか、二発の命中弾は信長が懐中にしていた干餅(兵糧)に当たり、かすり傷のみで難を逃れたという。餅は万松寺和尚からもらい受けたものだった。慶長の名古屋城構築に際し、万松寺に滞在した加藤清正がこの話を聞き、「身代わり不動」と命名された。また門前の茶屋で売っている餅も、当時の人々は「身代わり餅」と称し、災難、厄除けに争って賞味したという。 | ||
| 現在、この茶屋はなくなったが、毎月二十八日、この由緒を伝えるため境内で餅をつき、参詣の善男善女に厄除けとして配られる。 また往時有名な客で、この不動明王の熱烈な信者だった尾張大八が御加護を受けて一身の大災難を免れた話も伝えられるほど。 こうしたことから厄除け、交通安全を祈願する信者が後を断たず、ドライバーから「あわやの時、不思議と事故にならなかった」「事故にあったが、全然けがもしなかった。身代わりの不動さんのお陰だ」とお礼参りに訪れる人が多い。 | |||